2017年07月15日

旅先で映画

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少ししか時間がないから、サクッと書いてアップしたい、と思って書き始めてます。

「ゴンドラ」という映画がずっと氣になっていて長いこと観る機会をうかがってた。
そしてこのほどやっと、タイミングがあった。
初めての映画館。二度目に訪れた商店街。
当日券を買って、上映開始までの時間に何かしたいな、と珈琲店へ。
昭和には既にあっただろうな、というような重層感のある店構え。
落ち着いた、いかにも珈琲店という感じの濃い茶と白の内装。
ひとつの壁には一面に高級カップが整然と並ぶ。

知らない街で時間ができると、
その街にずっとあっただろうな、と思う珈琲屋に入るのが好き。
ブレンドの味が楽しみなのは勿論のこと。
その街に住むひとたちが、ほっとひとときを楽しんでいる様子を視界の隅に感じる。
いつも来てるだろうな、という感じのおじいさん
時たま買い物ついでに氣の合うどうしでお茶、という感じのご婦人
まだ距離を少しずつ縮めてる期間かな、という感じのカップル。
いまも、二人のご婦人が、このあたりの言葉で会話しているのが聞こえる。
案外哲学的な見地に立ってて興味深い内容だ。

で、今日これを書き始めたのは、
お店の入口のカウンターにいる女の子がとってもチャーミングだったから。
定められていると思しき黒のパンツに白のブラウス。
メイクは薄めでさっぱりとしている。
オーダーをとりに来てくれたのも彼女で。
頼んだクロワッサンサンドを運んできてくれたのも彼女。
そっと伏せて置かれた伝票をふとみたら
「御来店ありがとうございます」と手書きの文字。
食べながら、彼女はカウンターの中で何してるのかな?
と見たら、これから書く伝票の1枚1枚におそらく
「御来店ありがとうございます」と書いている。
そして、その表情が、とても柔らかかったのを見て
ちょっとうるっときてしまった。

短い時間、飛行機に乗ってこの街に来たんだけど、
飛行機がちゃんと飛んでくれたのも、
パイロット、客室乗務員さん、整備士さん…
みんながちゃんと仕事をやってくれたおかげ。
今こうやって美味しいクロワッサンサンドと珈琲と温かい時間を享受できるのも
このお店を今日まで守ってくれた人、珈琲淹れてくれた人、サーブしてくれた人
そして、手書きの言葉を気持ちを込めて書いてくれた彼女のおかげ。

みんなが自分の仕事に、なげやりな氣持ちになることなく
穏やかな心持ちで日々取り組める土台があることが
本当に尊いことなのだ。
それとはほど遠いな〜と思うような場面に出逢ったり、
残念な話しを耳にしたりすることがある昨今。
感じたことをちゃんと口にして、自分もワークライフバランスを大切にしながら
守っていかなくては!

この珈琲店でこのことに氣づけただけでも、ここにこの映画観に来て良かったな。
うわっ! もう始まるから行かなきゃ!!




posted by Ackey at 16:41| Comment(0) | 日記

2017年07月04日

斎藤誠と Martin Guitar


まぁ もちろん私より多くライブに足繁く通っている人は沢山いる。
とはいえ、ライブを観た数は、そこらへんを歩いている人々に比べたら数多。
で、私がこれまでの人生で最も沢山観たのは斎藤誠氏のライブだ。
「ネブラスカ」と彼が称しているいわゆるギター弾き語りスタイルのライブ。
そして、「フルメン」と称している、長年共に音を紡いできた信頼する敏腕ミュージシャンで構成された緻密なロックバンドスタイル。
そのどちらものスタイルで、存分に自身の音楽世界を表現し続けているのが、斎藤誠氏の最大の魅力だ。
サザンオールスターズのサポートギタリストとしての活躍が多くの人に知られていて、ギタープレイに聴衆の目が集まりがちだが、実はソングライティング力、そして唄の良さも秀逸だ。

一昨日、名実ともにアコースティックギターの世界の高峰である Martin 社の新モデルを弾き比べるという企画ライブを観る機会に恵まれた。
日本の有名楽器店のバイヤーが Martin 本社工場を見学した様子をスクリーンに映した写真を示しながら語り、その後にステージに並べられた4本のギターを、特徴を指摘しながら斎藤誠氏が弾いて聴かせてくれる。

さらには、斎藤氏の私物のカスタムモデルも傍に置かれていて、それを含む5本の Martin を、それぞれの特性を踏まえて曲ごとに持ち替えて、計8曲弾き語りで奏でてくれた。
ギターにはあらかじめピックアップを使えるように造られているものもあったようだが、この日のライブでは、サウンドホールより少しヘッド寄りを狙ったコンデンサーマイク1本で拾った音。それにスタンダードなマイクで拾う Vocal マイクの音を MIX した音。
たまたま私が座ることができた席が、客席に向けられた2つのスピーカーの位置からのベストポジションだったというのも大きかったかもしれないが、私がこれまで体験した数多の斎藤氏の弾き語りライブの中でも群を抜くバランスの良さだった。クリアで、しかも力強いストロークの時もピックが弦を擦る時にでる高音も耳にきつくない。
そして、同行した斎藤氏のライブを初めて観た若いギタープレイヤーも言っていたが、歌のうまさを改めて実感したのだ。
終演後スタッフの方に尋ねたら、今日のエンジニアは会場である秋葉原グッドマンの方だそうで。昔いっぱいお世話になったとあるライブハウスのエンジニアさんが、「都内でも第1級の音が出せる小屋にしたいんですよね」と言っていたことが記憶の海から蘇った。優れたライブハウスのエンジニアさんは、その場所の音の特徴を熟知していて、つど奏でられる音楽が最も生きるように機材やMIXをコントロールするのだ。音響エンジニアはミュージシャンと同等に崇高な職業だ。

弦高、フレットの太さと幅、構えたときのギターのボディと自分の身体とのポジション。
初めて触れた個々のギターで納得できるプレイを聴かせるというのは、長年ギターを極めているプロならではの偉業だ。

どのギターも良かったのだが、中でも Martin としては珍しいというナイロン弦の小さめのボディのものの値段が紹介されたとき思わず「欲しい!」という言葉を小声で発していた私。
夏のボーナスがもらえたなら即買いだな。ま、もらえる境遇じゃないんですけどね 笑。

今年発売された Martin 一発録りの弾き語りだけで構成されたオリジナルアルバムを聴くと、さながら昨日のライブのような、すぐ側で斎藤氏がうたってくれている音を体感できます。
また、来年1月3日には、彼の還暦フルメンライブ開催が決まっています。
ご興味沸いた方は、是非斎藤氏の Official Site へ!
http://www1.odn.ne.jp/cah32600/


追記
7月16日(日)銀座山野楽器で、斎藤誠 with 柳沢二三男のMartin トーク&ライブ開催との報!
http://www1.odn.ne.jp/cah32600/Live.html#YamanoGakki

デジマートマガジンで、斎藤氏と柳沢氏の動画が公開されています。
https://www.digimart.net/magazine/article/2017062702643.html



タグ:斎藤誠
posted by Ackey at 08:03| Comment(3) | 音楽

2017年05月26日

世界を変えることは、できますか?


最初にことわっておきますが、
今日が特別苦しいとかそういう背景でこれを書いているワケではありません。

さて、これまで、何度も何度も何度も何度も思ったことですが、
今日私が謎の死を遂げたとしても、「別に自らそうするような理由は思い当たらない」
と、私を知る全ての人が口を揃えて云うだろう、と。
それはとりもなおさず、SOSを発信する場がどこにもなかったという結果だ。

10年も前に放送された坂元裕二脚本のドラマ【わたしたちの教科書】を全12回ぶっ通しで観た。
次の瞬間何をすべきか決められないとか
いの一番にやるべきことはわかっているけど脳のコンディションがそれにそぐわないとか
未来がすっかり閉ざされてしまったかのような絶望感に支配されているとか……
まぁ、そんなこんなな時に、
酒を飲むワケでも、モノを壊すワケでも、デカい声で怒鳴り散らして周りに当たるとか……
そんな発散法に馴染まない私は、坂元裕二の世界に浸る。

忘却力に優れているのが幸いし、何度か観た作品でも、ストーリーはすっかり忘れていて
初めて観るかのように、展開自体も楽しめる。

「世界を変えることは、できますか?」
謎の転落死を遂げることになる中学生が、冒頭の部分で新任の臨時教員にド直球の質問を投げかける。
まずここで落涙ひとすじ。
坂元裕二の紡ぐセリフは、ひとつひとつがある意味実にリアルで、
また歯の浮くようなこと言ってるワこのひと、というようなセリフのあとは、
そう感じ取ったのは私だけじゃないわね、やっぱり、という展開に。
登場人物はみなそれぞれに真摯に生きていて、小さな言動にも必ず裏打ちされる理由がある。
生きていると、実に理不尽なことばかり。
なんで私が? とか、どうしてこんなことに? とか容赦ない出来事が次々に起こる。

人との距離(つまり関わり方)とか、
生きているというこの時間をどう使おうと考えるかとか、
自分以外の人のことをどのくらい大切にするかとか、
結局 ひとは、自分が思う概念の通りに時間を進む。
たとえば、始終戦火に逃げ惑うような幼少時代を過ごしたとしたら、
毎日安心して眠れて、明日のごはんの心配もせず生きられることを
どんなにか恵まれた日々と思うことか。
だけども、幸せも苦しみも、結局は偏差値じゃなくて、主観だ。
こんな苦痛はとうてい堪えられない、と、
明日を生きなくていいようにしようとする人も ごくわずかなんかではない。

その謎の死を遂げてしまった中学生が、死の数日前に廃墟の壁に書いた文が最終回で発見される。
そこには、彼女なりに頑張って探し当てた、生きる続けようとする理由が書かれていた。
その一節がこちら。

ーーーーー
わたしには、8歳のわたしがいて、13歳のわたしがいて、
いつか二十歳になって、30歳になって、80歳になるわたしがいる。
わたしがここで止まったら、明日のわたしが悲しむ。
昨日のわたしが悲しむ。
わたしが生きているのは、今日だけじゃないんだ。
昨日と、今日と、明日を生きているんだ。
ーーーーー

自分を愛してくれている誰かのためとか、
誰かが本当は生きたかった時間を生きるためとか
そういう外に求めるものでなくて、心底安堵した。

死の真相が明らかになり、最終回のエンドロールの少し前に
冒頭の問いかけについて新入生たちが意見を出し合うシーンが流れた。
様々な視点が紹介された。
一番 ぐあっ ときたのはこれです。

「その質問は間違っていると思います。
 ひとは世界を変えています。
 わたしたちは生きているだけで、
 世界を変え続けているんだと思います。」
 
それからこちらも心に響きました。 

「世界は別に 誰のものでもないし、
 誰かの考えに合わせて変えるとかいうのは…
 おこがましい気がします。」
 
生き続けるために、生きる理由を考えることは必要ないことかもしれない。
そういうのは、ときに、一歩も足を進められないような段になって
湧き上がってくる自問なのかもしれない。
そもそもこんなこと考えるのは今のところ、地球上ではヒトだけかもしれないし。
 
本当は、こんなふうに文章にするんじゃなくて
うたをかきたいところ。そして歌いたい。
わたしのねがいはそこ一点なのに、邁進できずにもがいている。
それでも、進む。


posted by Ackey at 10:25| Comment(2) | 日記